行政書士  脇   健二 事務所
神奈川県小田原市で奮闘中の、日本一熱い心を持つ行政書士です。
建設業許可などの各種許認可、相続などでお悩みの方はお気軽にご相談ください!

事務所代表 脇健二 のプロフィール

はじめまして。
「行政書士脇健二事務所」
代表の脇健二と申します。
当サイトにお越し頂きありがとうございます。
最初に、自己紹介をさせていただきます。

 

【学生時代】
私は、神奈川県小田原市で生を受け、小田原の地で両親のもと何不自由なく育ちました。
学校の成績は良くも悪くもなく普通。ただ身体を動かすのは好きで特に徒競走が得意でリレーの時間が楽しみでした。ただ陸上選手になるほどではなく、地域の子供会が運営するバレーボールクラブに所属し、高校までレギュラーとして続けましたが、選手として大きな結果を残すことはできませんでした。

 

【初めての挫折】 
 そんな自分に転機が訪れます。それは大学受験です。私は現役時に志望大学の5つの学部を受験し全て不合格。当然のように浪人生活に入りますが、結果は不合格。そして再び浪人するも結果はまたしても不合格だったのです。全ての敗因は、中途半端な気持ちであり、心の中で「何とかなるだろう」という甘えの心が原因でした。ここで人生初めての大きな挫折を味わったのです。

 

【社会人へ、そして行政書士のきっかけ】
 そして、これからどうしよう?そう思っていた時に見つけた職業が「行政書士」だったのです。「法律で人を救えるなんてカッコイイ」そんな軽い気持ちで知人に打ち明けますが、大学受験さえ勝ち取れない人間の妄想など、当然相手にもされませんでした。その後、運良く大手企業に就職しますが、「自分のやりたいことではない」と転職。その後も3回の転職を重ね年齢が40代を迎えた頃、様々な出会いや別れ、また人間関係を経験していく中で、こんな自分でもようやく人生を、社会を、そして人の大事さに気づくことができたのです。今にして思えば、困難に直面した時、なんとなく守られて物事が解決していたのも、全て周囲に助けてくれる人がいたからなのです。定期的に私を誘い車で送りながら話しを聞いてくれた上司。私を信じて待ってくれた司法書士の先生。鶴の一声で採用を決めてくれた当時の社長。仕事に厳しいが自分にも厳しかった上司。そして失敗しても、怒らずに信じ、何度も自分の盾になって守ってくれた上司。このような方達は、私の一生の恩人です。

 

【行政書士になると決意】
 そして50歳の時コロナ禍で人生を今一度考え直す機会があり、30年前に思い描いていた行政書士試験をもう一度受けてみようと思い立ったのです。試験勉強に関しては、仕事をしながら独学での挑戦の為、困難を極めましたが、一度決めたことは最後までやり遂げる挑戦の気持ちを持ち続けました。そして今まで苦手だった地道な努力を続けた結果、3回目の受験で晴れて合格することができました。
このような人生を歩んできた私ですが、行政書士として開業するにあたって考えていたことがあります。それは、今までお世話になった方へどうやって恩返しすればよいのかということです。すると、そうだ。今までお世話になった自分が、今度は行政書士として法律の知識を通して人を助け、守っていこう!そう心に決めることができたのです。

 

【自分の行政書士像・目標】
私は日本一熱い心を持つ行政書士になると決めました。日本一という定義は様々あるとは思いますが、あくまで人と競う日本一でなく、自らを鼓舞し、今まで受けた恩を必ずお返しします。見ていてください!との熱情を持ち続けこれからお会いするであろう多くの方と幸せを享受できる機会を作っていきたいと思っております。
そのためにも、私は感謝の気持ちを忘れず、相手を敬い、決めた事をやり遂げるという「熱い心」を燃やし続けて参ります。多くの皆様とご縁できることを楽しみにしております。
どうぞ宜しくお願いいたします。